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In the RABBIT HOLE

楽しく生きていくため、徒然なるままに

飲みまくれば、一瞬は全部忘れてハッピーになれる。

醒めれば二日酔いだけど、それでもその一瞬のために頑張れるからそれでいい。

一緒にのんで騒いで泣いてくれる人たちがいれば、安いお酒でも汚い居酒屋でもいいの。

立ち上がれないくらい、打ちのめされる日もある。

このまま寝転がってれば全部終わるかなって考えるけど、結局そういうわけにもいかなくてよろよろ立ち上がってまた歩きだす。

やだなー、無理だなーって思うけど、何となく歩き始めればまた前に進んでる。

そうやって毎日進んでる。止まる日はあっても後ろに下がってるわけじゃない。

前進と停滞はあっても、後退はない。

福島のいじめや差別の話を聞くと驚きの気持ちでいっぱいです。


加害者側からすれば、ネタはなんでもいいのかもしれない。


他の人と違うところを無理やり見つけてくる人種にとっては、太ってるとか、トロくさいとか、そういったことと同列に捉えているのかもしれない。(もちろん、そんなことでいじめるのも許せない)


それでも、原発の被害を受けたことをいじめのネタにできる人間の感覚が信じられません。

こちらが恨まれるならわかるけど、福島の人に対してこれ以上さらなる被害を与えるなんてありえない。


どれだけの犠牲のうえに自分たちの生活が成り立っているのか、子供にちゃんと教えてあげるのは親の責任だと思うし教師をはじめとする周りの大人の義務のはず。


震災が起きた時、私たちはどうやって彼らに償っていけばいいのか、それを考えていくことになるんだろうと思っていた。

さらに彼らから奪うことしか考えない人がこの国にいるなんて、信じたくない。


いくらお金をもらっても築いてきたものを手離す虚しさは埋まらないのに。


私は日本に暮らす人間として、まして東京で大量の電気を使う一市民として福島には足を向けて寝れないし、福島の方には頭があがりません。

月曜日が嫌いだけど、月曜日が始まれば日曜日が見えてくる。


日曜日の夜が終われば、新しい週がきて新しい週末を目指してがんばれる。


だから、月曜の朝もがんばろう。

もりもり食べて


もりもり働く月曜日

自分に自信がなくて、いつも自分を貶める


本当は自分を守りたいだけ


傷つきたくないから、最初に自分で大怪我しておくの



きらきら〜

ほーら私の人生って輝いてるでしょ、素敵でしょ、羨ましいでしょ


みんなそう思って欲しいんでしょ


私だって思って欲しい


いつも毛布にくるまってぼりぼりおかし食べてるだけの働くひきこもり娘だけど、とっても楽しい私の人生


他の人には見えなかもしれないけど、輝いてるの


きらきらりん

もりもり食べて

もりもり働く


じゃないと生きてるって気がつかない

木曜日くらいから、週末のことを考えるとそわそわ。


考えるだけで楽しくなってくる。

毎週くるのにね。


でも、いざ金曜日になるとこのまましばらく金曜日だったらいいのになと思う。


クリスマスが楽しみだけどいつまでも来て欲しくないような、ずっとクリスマス前ならいいのになっていう感じに似てる。


好きなものは最後に食べるタイプです。

思い出はキレイなままで、

鍵つきの箱にしまって、

ときどき奥の方から取り出して誇りを払って眺めたい。

ひとりでにやにやして、またしまいこむ。


それが形に残せたら、どんなに素晴らしいでしょうね。

誰か私のことホワイトチョコでべっちょべちょにしてくれないかな


それで蜂蜜の海にぽんって投捨ててくれればいいのにな


蜂蜜の海に住むお魚が、「なんだこれ!」ってなって、突き回してるところを漁師に見つかって、陸に上がって乾かして、いい感じに甘い香りがしてきたところで苺を添えて女の子の口に入るのが私のホワイトデーの素敵な夢


自分の幸運を忘れそうになる時がある


私は恵まれている、それは間違いない。

ほとんどの人が恵まれた存在だ。

大変だし、辛いこと山積みだし、忘れそうになるけど、本当は恵まれている私たち。

なんで忘れちゃうんだろう。


もっと不幸な人がいるって意味じゃない。

絶対評価で私たちは幸せなのに。


他の人と比べだしたら止まらない。

上も下も限りない。

そして永久にどこにもおさまらない。


それでも誰かと比べるなら、

私たちにはもっとノブレス・オブリージュな考え方が必要なのかも。

高貴なるものとは言い難いかもしれないけど、私たちには“持てる者の義務”があると自覚するべきほどの格差がある。

自分じゃないとても恵まれた誰かが、これまた自分ではない助けを必要としている誰かに、手を差し伸べるのを待っているだけではダメなのだと思う。

億万長者じゃないし(てゆうか小金持ちですらないけど)、国民的アイドルでもない(社内のアイドルにすらなれてない)けど、できることはたくさんある。

これがいつか訪れるかもしれない不運から自分を救おうとするエゴだとしても、自分の幸運を思い出したら、それは自分の番が来たということだと思うから。


立ち止まっちゃって

もう前には進めない、

と思ったら

それは軽やかに3回転ターンを決めるときです。


進む?戻る?飛んでいく?という問題については、

くるりとまわって右脚を左後ろに引いてスカートを軽く持ち上げて膝を軽く曲げて頭を低くしてから考えても遅くはないのです。

なんなら誰かが拍手してくれるのを待ってもいいくらいです。

私は自分の身体を許すことにします。

自分の顔も許します。


理想とは違うかもしれないけど、四半世紀も生きていればすべて自分の責任だと思うから。


悲しくなる夜もあるけど

でも、朝にはまた自分を許せるようになる。


美しくなるために努力し続けることも、女の子の人生の楽しみの一つでしょ?

10代のころとは違うけど、やっぱり楽しいでしょ?


通信技術が発達した世の中で、


ほんの数時間すべての人との通信上の関わりが途切れただけで、


私もしかしてひとりぼっち?


という気持ちになる。

それが寂しいわけでも、嫌なわけでもないけれど、しばらくの間誰からもスマホに連絡がないと電波に不調があるのかもしれないと思い始める。

もしも、友達から緊急の召集がかかっていたらどうしよう。

もしも、家族からSOSが入っていたら?

みんなが連絡をしていないんじゃなくて、私のスマホが電波をシャットアウトしてるだけだったらみんな困っているに違いない。


それとも実はみんな消えちゃってて、私に連絡をくれるような人はもう誰もいないのかもしれない。


ほんの少し周りとの接続が切れただけで、周りに誰もいないと感じるなんておかしな話。ここは世界一隣の人との距離がちかい街なはずなのに、なんだか誰も近くにいないかのように感じるなんて。